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公共社会科学に向けて
ブログ紹介
社会について考えたいという方に、公共社会科学という観点から、情報をご提供していきます。特に、無駄がない文献選びができることが目的です。掲載されている情報について、正確さ向上を心がけていますが、当ブログを用いて行う、行為、被った被害・損失に対しては一切の責任を負いかねますのでご了承ください。たたき台として使っていただければ幸いです。社会を考えるには、考え方という基礎が必要で、それは公共社会科学と考えています。公共社会科学を身に付け、これに基づいて、社会に関する問題の設定として事実の把握、社会に関する問題の解決としてあり方の提言を探究することが基礎的な姿勢であり、具体的に、社会現象を分析することにとどまらず、どのような社会を創るか探究できるようになることを目標にする。

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タイトル 日 時
大学における教養課程
大学における教養課程  教養は専門の前に置かれますが、教養に関して、大学における教養課程について、考えたいと思います。 ...続きを見る

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2017/03/29 23:50
教養と専門の関係
教養と専門の関係  教養と専門は、どのような関係か。専門は、初級、中級、上級がレベル分けされるが、入門は、これらの前に置かれる導入であり、教養は、専門を学ぶ前に置かれる入門とは異なる。教養は、専門科目名前が前に付く入門や、専門科目が扱わない一般知識とは異なり、教養という科目が独自にある。教養には、哲学という、専門科目に関する方法論の探究や、日本語、外国語など言語学という、専門科目に関する手段が挙げられているが、これらは、専門科目に近い人文学である。教養は、専門科目の入門レベルを、人文科学、社会科学、自然科学と幅広... ...続きを見る

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2017/03/28 23:39
教育と労働を行う空間
教育と労働を行う空間  人間は、人生において、教育と労働を、一定の空間で携わる。教育においても、労働においても、携わる場所については、作られた組織内であった。教育は、「公共政策」の一部なので、「政治」領域であり、「国家」における「国民」として行うとされてきた。労働は、「経営」の一部なので「経済」領域であり、「会社」における「生産者」として行うとされてきた。本来、教育や労働は、強制的にさせられるものではなく、主体的に行うことで、精神活動を行う手段であるという意味において、必要であり、そうであれば、教育や労働は、人間や自... ...続きを見る

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2017/03/26 23:35
教育と労働を行う時間
教育と労働を行う時間  人間は、人生において、教育と労働に、多くの時間を費やす。教育においても、労働においても、朝9時前後からはじまり、夕方5時頃までが基本である。教育は、初等教育と、中等教育に関しては、必要な学ぶ内容が分かれば、時間短縮はできる。労働も、必要な生産が終われば、時間短縮はできる。ここで、1日に費やす時間を短縮するか、1日8時間は変えず、費やす日数を短縮するかであるが、教育は、初等教育と中等教育に関しては、労働と並行して行わないので、日数を短縮、労働は、生涯学習として教育に費やす時間に使うために、日数を... ...続きを見る

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2017/03/25 23:24
プロフェッショナルについて
プロフェッショナルについて  教育は労働の基礎になりますが、ここで、労働に関して、プロフェッショナルについて、考えたいと思います。 ...続きを見る

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2017/03/24 23:18
専門職大学院について
専門職大学院について  大学における、近年の動向として、専門職大学院の設置がありますが、これを考えてみたいと思います。 ...続きを見る

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2017/03/23 23:14
研究と分析
研究と分析  研究と分析は、どのように使い分けるか。研究とは、学問体系において分からなかったことを、1つ加えることである。分析とは、既存の学問体系を用いて、何かを分かるようにすることである。地域を創生するという近年におけるトピックを対象にすれば、研究であり、人口変化における社会増加要因を対象にすれば、分析である。このように、研究を行う時があれば、分析を行う時もあるだろう。 ...続きを見る

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2017/03/22 23:25
教育と労働
教育と労働  教育と労働は、衣食住と共に、人生にとって基礎であり、多くの時間をこれに費やす。経歴には、教育の履歴である学歴と、労働の履歴である職歴に分けられる。教育は、労働を行う上で必要な技術を身に付けることであると位置付けられてきた。そのために、教育、労働という順番で、ライフコースが設計され、教育と労働は分離されてきた。今後は、自分が好きなことを仕事にすることで労働を行うことが予測され、教育も、労働の練習ではなく、生涯学習として、労働に並行する存在になるだろう。 ...続きを見る

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2017/03/21 22:45
近代に形成された家族について考える
近代に形成された家族について考える  社会領域においては、家族が中心になりますが、家族に関する文献は、山田昌弘 [2001] 『家族というリスク』勁草書房.があります。日本の近代に、家族が、どのように形成され、どのように維持が困難になっているか分かりたいという方が、読むとよく、リスク化という点から考える文献です。中級者向け、社会分野です。家族は、解体されることはないと考えられていたが、近代に形成された家族も解体される危機にあることを明らかにしたことが貢献であり、評価されます。解体される要因は、近代という時代によって、経済的な利益を... ...続きを見る

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2017/03/18 23:27
大学における大学院重点化
大学における大学院重点化  大学における、近年の動向として、大学院重点化がありますが、これを考えてみたいと思います。 ...続きを見る

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2017/03/17 23:00
生涯学習を担う機関
生涯学習を担う機関  教育は、学校教育から生涯学習に移行することが重要である。これには、実際に社会で通用する教育水準を保ち、幅広い年代を受け入れることができる、大学、公民館、図書館、博物館などが整備されることが必要である。小学校6年間や、中学校・高等学校6年間という学校教育は、実際の社会とはかけ離れた内容であり、受け入れる年代が決まっている。これは、小学校という初等教育や、中学校・高等学校という中等教育が、労働者養成機関であり、人間を、利益を出す生産要素にしか見てないからである。これに対して、生涯学習は、公共社会科... ...続きを見る

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2017/03/16 23:19
学校教育と生涯学習
学校教育と生涯学習  教育には、学校教育と生涯学習がある。学校教育とは、幼稚園・小学校という初等教育、中学校・高等学校という中等教育、大学という高等教育から成り、3歳頃から、順番に、教育を受ける。これに対して、生涯学習とは、学校教育後に受ける教育というイメージが定着するが、本来は、ライフコースで全年代において、主体的に学ぶことや、教えあうことである。何かを、どの時期に、どこの場所で学ぶかは、自由であり、学校教育ではなく、生涯学習であるべきである。人間は、学校で強制的な教育は嫌いであっても、何かを学ぶことに関しては求... ...続きを見る

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2017/03/15 23:18
教育と研究
教育と研究  教育と研究は、学術や芸術において、基礎的な軸である。教育とは、学術や芸術について、既存の体系を教えることである。研究とは、学術や芸術について、既存の体系に新しいことを1つ加えることである。このようなことから、教育、研究という順番で言うことが望ましい。また、これらは、教育を行う、研究を行うという意味で、大学という機関側から見た用語である。 ...続きを見る

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2017/03/14 23:07
領域と分野
領域と分野  領域と分野は、形式的にではあるが、分かりやすく体系化する時に使われる。領域とは、共通な特徴を持つ各分野を「含む」ことである。分野とは、各領域において、何を対象にするかでそれぞれ「分ける」ことである。貨幣を用いた相互作用という点で、経済領域になる。経済領域において、貨幣を対象にする商分野、会社を対象にする経営分野、市場を対象にする経済分野ということになる。公共社会科学では、まずは、経済、政治、社会、文化、自然という5領域と、各領域においてそれぞれ各分野を考えて、徐々に、詳細化を行う。 ...続きを見る

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2017/03/13 23:22
公共的空間と相互作用
公共的空間と相互作用  公共的な空間があることは、人間に何らかの相互作用があることである。社会領域では、他者が用いた言語によって、人間がその言語に対してどのように反応するかが研究対象になる。文化領域では、過去の人間による非言語によって、現在いる人間がその非言語に対してどのように反応するかが研究対象にある、自然領域では、自然による非言語によって、人間がその非言語に対してどのように反応するかが研究対象になる。公共がある世界では、このような相互作用があることで、人間は、現在いる他者、過去の人間、自然と関わりを持つことで、支... ...続きを見る

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2017/03/06 22:39
学術と芸術
学術と芸術  学術は、言語を用いて、対象を探究することです。それに対して、芸術は、非言語を用いて、価値を探求することです。言語は、国語として探究、文学として探求することが挙げられます。国語として探究することは、各国語をそれぞれ分析することである。文学として探究することは、各国語を用いて文学作品を創り、そこから、価値を探究することである。音楽は、言語を用いた歌詞があるものや、言語を用いないクラシックといったものがある。美術は、言語を用いた書道があり、言語を用いない絵画といったものがある。いずれにしても、非言語... ...続きを見る

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2017/03/06 22:33
言語と非言語
言語と非言語  公共社会科学では、経済、政治、社会領域の土台に、文化、自然領域が置かれる。社会領域では、言語を用いた相互作用が行われる。それに対して、文化や自然領域では、非言語を用いた相互作用が行われる。文化領域では、歴史と関わりが深く、過去にいた人間が行っていたという伝統を基に、ふるまいが行われます。自然領域では、地理と関わるが深く、自然と人間による、相互に影響を与えるふるまいが行われます。公共を社会科学に付けるには、公民と関わりが深く、他者との相互作用が、文化的にも自然的にも存在する社会を探究する理由から... ...続きを見る

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2017/03/06 22:23
政治領域の正義とは何か
政治領域の正義とは何か  政治領域では、「法律」を媒介に、「国家」が、「非市場」で、「財・サービス」を、「分配」することを考えることが、基本にあります。これらが、どのようになるべきかを、検討するには、何らかの価値観が必要になります。正義とは、社会をどうするかを考える際に、重要な概念です。政治領域における正義とは、「分配」が公平的に行われることであると言えます。公平的とは、どのようなことかを具体的に考えることが、求められます。 ...続きを見る

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2017/03/02 23:02
人口減少と日本経済を考える
人口減少と日本経済を考える  人口が減少している日本の経済に関する文献は、吉川洋 [2016] 『人口と日本経済 長寿、イノベーション、経済成長』中公新書.があります。現在、日本が人口減少している中で、日本経済が停滞するのかどうか分かりたいという方が、読むとよく、イノベーションという点から考える文献です。初級者向け、経済分野です。人口が減少しても、新しい「財・サービス」を開発するイノベーションによって、日本経済は停滞しないことを明らかにしたことが貢献であり、評価されます。ケインズ経済学による財政政策がなぜ機能しなくなったか... ...続きを見る

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2017/03/01 23:38
経済領域の正義とは何か
経済領域の正義とは何か  経済領域では、「貨幣」を媒介に、「会社」が、「市場」で、「財・サービス」を、「交換」することを考えることが、基本にあります。これらが、どのようになるべきかを、検討するには、何らかの価値観が必要になります。正義とは、社会をどうするかを考える際に、重要な概念です。経済領域における正義とは、「交換」が効率的に行われることであると言えます。効率的とは、どのようなことかを具体的に考えることが、求められます。 ...続きを見る

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2017/03/01 23:10

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